Human Desire / Giljung Yoon (ユン・ギルジュン)
36.4cm×25.7cm 88P
韓国人フォトグラファー、ユン・ギルジュンによる写真集。
ユン・ギルジュンは、韓国全土の様々な場所で、石像と石のトーテンポールを撮影するために、5年にわたり800カ所以上を訪れてきた。アーカイブのためというよりも、像の表情と形態を通して、先祖の生き方を少しでも見極めたかったという。
統一新羅時代から王の墓に建てられてきた定型化された姿の石像ではなく、朝鮮時代(1392年〜1910年 )の管理職に当たる「士大夫」の墓を守る石像に、作家は目を向けてきた。当初から、石像が守る主人の身分や制作時期ではなく、その表情に魅了されたからだ。主人の身分によって階級が決められた石像の身分を超克するように、それらは全て同じようなサイズと背景でおさめられた。
ユンは、墓のそばで亡者を守護する石像が、永遠に生きたいという人間の「願望」を抱いていると解釈する。死者でありながら人間の不死の欲望を抱いて墓の外に立つ石像は、石の中でも特に硬い花崗岩を材質としている。その硬質さは彫像に大変手がかかるが、時間の無限性を願うには、最適な石でもあったのだろう。
しかし、命を延ばす願いを持った石像もまた、長い間の風雪に少しずつ原型を崩され、削りとられていく運命にある。ユンは、時間と願望の狭間で語りかけてくるものが生起する瞬間に撮影を続けた。石の特異な表情の質感を具現するためには、自然の漆と薬剤でコーティングされた韓紙が印画紙として用いられた。願望が込められたひとつとして同じものがない石像は、呼吸する性質を持つ韓紙の印画紙によって、よく聞こえる固有の声として立ち現れ、その声は写真集にも印刷の方向性として引き継がれていった。
王や権力者たちの願望を吹き込んだのが石像であるならば、石のトーテンポールには、異なる人々の気持ちと願望が刻まれている。村と寺の入口で厄運を防ぐために立てられた石のトーテンポールは、民衆にとって自分たちを守護した土俗信仰の標識でもあった。大目玉をむきだし、怒りに満ちた鼻。微笑みを誘う面白い口。伝統的な美意識と秩序に対する民衆の抵抗とも感じ取れるトーテンポールの表情からは、支配層の宗教であった儒教によって弾圧され、疎外されていた民衆の苦しい現実から逃れたかった願望がどれほど大きかったかが想像される。
トーテンポールの顔は民衆の自画像そのものでもあったのだ。
先祖の姿がどんなものだったのか─。東西、国に関わらず、誰もが興味をひかれることだろう。韓国の場合、朝鮮時代の後期に写真術が入って来たため、それ以前の時代の資料は全くないに等しい。伝えられてきた絵画や肖像画も多様な表情を読み取るにはもの足りない部分がある。しかし、ユン・ギルジュンの作品には時間を超越した創造が感じられる。その歳月が五百年であれ、千年であれ重要ではない。そこには簡単ではない人生になぐさめを与え、未来への希望を願った人々の思いがある。
韓国の伝統と人文学的な再解釈、そして芸術的な価値を持つ『Human Desire』は、時間の線の中に深く刻まれた「願望の物語」を静かに語っている。
韓国人フォトグラファー、ユン・ギルジュンによる写真集。
ユン・ギルジュンは、韓国全土の様々な場所で、石像と石のトーテンポールを撮影するために、5年にわたり800カ所以上を訪れてきた。アーカイブのためというよりも、像の表情と形態を通して、先祖の生き方を少しでも見極めたかったという。
統一新羅時代から王の墓に建てられてきた定型化された姿の石像ではなく、朝鮮時代(1392年〜1910年 )の管理職に当たる「士大夫」の墓を守る石像に、作家は目を向けてきた。当初から、石像が守る主人の身分や制作時期ではなく、その表情に魅了されたからだ。主人の身分によって階級が決められた石像の身分を超克するように、それらは全て同じようなサイズと背景でおさめられた。
ユンは、墓のそばで亡者を守護する石像が、永遠に生きたいという人間の「願望」を抱いていると解釈する。死者でありながら人間の不死の欲望を抱いて墓の外に立つ石像は、石の中でも特に硬い花崗岩を材質としている。その硬質さは彫像に大変手がかかるが、時間の無限性を願うには、最適な石でもあったのだろう。
しかし、命を延ばす願いを持った石像もまた、長い間の風雪に少しずつ原型を崩され、削りとられていく運命にある。ユンは、時間と願望の狭間で語りかけてくるものが生起する瞬間に撮影を続けた。石の特異な表情の質感を具現するためには、自然の漆と薬剤でコーティングされた韓紙が印画紙として用いられた。願望が込められたひとつとして同じものがない石像は、呼吸する性質を持つ韓紙の印画紙によって、よく聞こえる固有の声として立ち現れ、その声は写真集にも印刷の方向性として引き継がれていった。
王や権力者たちの願望を吹き込んだのが石像であるならば、石のトーテンポールには、異なる人々の気持ちと願望が刻まれている。村と寺の入口で厄運を防ぐために立てられた石のトーテンポールは、民衆にとって自分たちを守護した土俗信仰の標識でもあった。大目玉をむきだし、怒りに満ちた鼻。微笑みを誘う面白い口。伝統的な美意識と秩序に対する民衆の抵抗とも感じ取れるトーテンポールの表情からは、支配層の宗教であった儒教によって弾圧され、疎外されていた民衆の苦しい現実から逃れたかった願望がどれほど大きかったかが想像される。
トーテンポールの顔は民衆の自画像そのものでもあったのだ。
先祖の姿がどんなものだったのか─。東西、国に関わらず、誰もが興味をひかれることだろう。韓国の場合、朝鮮時代の後期に写真術が入って来たため、それ以前の時代の資料は全くないに等しい。伝えられてきた絵画や肖像画も多様な表情を読み取るにはもの足りない部分がある。しかし、ユン・ギルジュンの作品には時間を超越した創造が感じられる。その歳月が五百年であれ、千年であれ重要ではない。そこには簡単ではない人生になぐさめを与え、未来への希望を願った人々の思いがある。
韓国の伝統と人文学的な再解釈、そして芸術的な価値を持つ『Human Desire』は、時間の線の中に深く刻まれた「願望の物語」を静かに語っている。