座談会9 2024/08/18→2024/11/30 / 鈴木一平+なまけ+山本浩貴(いぬのせなか座)

座談会9 2024/08/18→2024/11/30 / 鈴木一平+なまけ+山本浩貴(いぬのせなか座)

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商品詳細

18cm×13cm 150P


日々生きるなかでことばや芸術に触れる意味をあらためて発明する、制作集団・出版版元・デザイン事務所『いぬのせなか座』。約6年半ぶりに行なわれる、初期メンバーによる「座談会」約9万字をまとめた一冊。


日記とはなにか、後世とは、私の生とは……。

いぬのせなか座の立ち上げ時に集中して取り組まれたこれらの議論を、動員や上演、〈アトリエ〉といったその後の主題と接続させつつ振り返り、そのさきで《これからの10年間を生きていく上での(本当にこれこそが大事と思える)指針を各々に、でもいっしょに立ち上げるための議論の場を再度立ち上げるきっかけとなったらいいなと思う》。


A
「私」らと「座談会」という形式
グループとして活動を続けるということ
「日記」や「後世」という主題と時代
詩における視覚と「余白」
慣習や歴史までを「余白」と捉える
「面」の複数性と(その手前側の)生
抒情性とオブジェクト
技術的前線としての「戦争詩」
情動と動員
「戦後詩」の形成
動員としての日記
日付による同期、日記という監視=教育ツール
「自由詩」の変容、抵抗の困難
SNSによる「個人の表現」の促し
改めて「わたしの持続的な生の分解と再構築」としての詩へ

B
「個と社会のあいだのギャップを抱え込める私」による煽動
言語表現と生のモデルとしての「日記」
なにが私(の表現)を大切にさせるのか
日付というタイトル=定型がもたらす非リアルタイムな反省
表現の宛先、あるいは「日記帳」そのものを作り、生を片付けるような信仰を得る
「恥辱」にまみれた人間と権力、歴史に残ること/残らないこと
「後世」が供給する現在の価値、あるいはその不在
誰にも見せない日記、プライベート、あるいは往復書簡
私が後世の人を動員する/私が後世の人に動員される
私に似ているけれど私でない私を構成する
キャラを作る、ブレる、汲み尽くせないものとして愛される
〈アトリエ〉を引き受ける、精一杯日々を引き受けてブレる、愛し合う
これからのはなし