今日ここにあって、明日消え去る:崇高の美学とタリア劇場 / ディオゴ・セイシャス・ロペス(著)、佐伯達也(訳)
17cm×12cm 56P
従来の出版形態では埋もれがちな、短いけれども価値のある建築家による論考を、軽やかな手紙のような本として刊行していく「FORGET ESSAYS叢書」。
本作には、建築史家のケネス・フランプトンによって「我々のロッシの理解を変容させる非常に繊細で洗練された研究」(Domus 1014)として評価された『メランコリーと建築:アルド・ロッシ』の著者、ディオゴ・セイシャス・ロペスによる論考を収録しています。
「メランコリーと建築は<不在の空間>において一つとなり、そこで<事物が精神へ>変換された。」
十八世紀の美学において重要な位置を占めた崇高の概念は、現代の建築的実践においていかなる可能性を持ちうるのか。『メランコリーと建築 ── アルド・ロッシ』の著者であるディオゴ・セイシャス・ロペスは、自身が設計したリスボンの「タリア劇場」を手がかりにこの問いに挑む。
一八六二年のある日、シャンデリアの幻想的な光に満ちた劇場が炎に包まれた。それから一五〇年間、当時のまま残された廃墟で、建築家は喪失の痕跡そのものを建築言語として昇華させる。暗闇と光が織りなす劇場空間に「未来の過去」という逆説的な時間が結晶化する。異なる結構的ニュアンス を持つホワイエ、舞台空間、パビリオンは互いに響き合い、作家性を超越する三位一体のダイアログを生み出す。永続への意志と消滅の予感という建築の本質的な矛盾。このあいだに、「あり得たかもしれないものの記憶」が呼び起こされる。
従来の出版形態では埋もれがちな、短いけれども価値のある建築家による論考を、軽やかな手紙のような本として刊行していく「FORGET ESSAYS叢書」。
本作には、建築史家のケネス・フランプトンによって「我々のロッシの理解を変容させる非常に繊細で洗練された研究」(Domus 1014)として評価された『メランコリーと建築:アルド・ロッシ』の著者、ディオゴ・セイシャス・ロペスによる論考を収録しています。
「メランコリーと建築は<不在の空間>において一つとなり、そこで<事物が精神へ>変換された。」
十八世紀の美学において重要な位置を占めた崇高の概念は、現代の建築的実践においていかなる可能性を持ちうるのか。『メランコリーと建築 ── アルド・ロッシ』の著者であるディオゴ・セイシャス・ロペスは、自身が設計したリスボンの「タリア劇場」を手がかりにこの問いに挑む。
一八六二年のある日、シャンデリアの幻想的な光に満ちた劇場が炎に包まれた。それから一五〇年間、当時のまま残された廃墟で、建築家は喪失の痕跡そのものを建築言語として昇華させる。暗闇と光が織りなす劇場空間に「未来の過去」という逆説的な時間が結晶化する。異なる結構的ニュアンス を持つホワイエ、舞台空間、パビリオンは互いに響き合い、作家性を超越する三位一体のダイアログを生み出す。永続への意志と消滅の予感という建築の本質的な矛盾。このあいだに、「あり得たかもしれないものの記憶」が呼び起こされる。