distance / 井手裕介
25cm×20cm 112P
編集者として活動してきた井手裕介が、2020年に写真制作を開始して以降、継続的に取り組んできた視覚的な記録をまとめた初の写真集『distanse』。
編集という職能を通じて培われた「見る/選ぶ/配置する」感覚は、撮影行為と暗室作業へと静かに転位され、世界との距離を測り直す試みとして本書全体を貫いている。
2020年春、新型コロナウイルス感染による嗅覚喪失という経験を契機に、知覚そのものへの疑念と関心が強まり、作家は時間をかけた撮影行為を伴う、半世紀前につくられたカメラを手に取った。以後、身の回りの風景や出来事を、即時性や説明性から距離を取りながら、時間をかけてフィルムに定着させている。本書は、その過程で生まれた写真群を、一定の物語や結論に収束させることなく、一冊の中に静かに並置したものである。
ーーー
見ることは、常に選ぶことであり、写真は、その選択行為を物質化する。さまざまに選ぶ過程にこそ、写真の本質的な魅力と批評の契機が潜んでいるのだ。井手さんの写真にあらわれている無防備な素朴さは、写真というメディアが撮影者の意志を越えて、イメージをもたらすことを静かに物語る。それは、カメラが機械であるがゆえに、撮影者の意図から滑り落ちる領域を孕んでいること、その偶然性の中に、意図を超えたリアリティが刻まれる可能性を示唆する。にもかかわらず、その写真は完全に中立ではない。そこにはなお、撮影者の癖や選択の痕跡——フレーミングの癖、ピントの迷い、シャッターのタイミング——といった固有の感覚が滲み出ている。写真がどれほど無意識の領域に開かれていたとしても、完全に撮影者の個性を消すことはできない。むしろ、その「意図と無意図のせめぎあい」こそが、井手さんの写真に特有の緊張感を与え、見る者を惹きつける力となっているのだと思う。
(鈴木理策「機械が行う知覚をめぐって」より一部抜粋 )
編集者として活動してきた井手裕介が、2020年に写真制作を開始して以降、継続的に取り組んできた視覚的な記録をまとめた初の写真集『distanse』。
編集という職能を通じて培われた「見る/選ぶ/配置する」感覚は、撮影行為と暗室作業へと静かに転位され、世界との距離を測り直す試みとして本書全体を貫いている。
2020年春、新型コロナウイルス感染による嗅覚喪失という経験を契機に、知覚そのものへの疑念と関心が強まり、作家は時間をかけた撮影行為を伴う、半世紀前につくられたカメラを手に取った。以後、身の回りの風景や出来事を、即時性や説明性から距離を取りながら、時間をかけてフィルムに定着させている。本書は、その過程で生まれた写真群を、一定の物語や結論に収束させることなく、一冊の中に静かに並置したものである。
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見ることは、常に選ぶことであり、写真は、その選択行為を物質化する。さまざまに選ぶ過程にこそ、写真の本質的な魅力と批評の契機が潜んでいるのだ。井手さんの写真にあらわれている無防備な素朴さは、写真というメディアが撮影者の意志を越えて、イメージをもたらすことを静かに物語る。それは、カメラが機械であるがゆえに、撮影者の意図から滑り落ちる領域を孕んでいること、その偶然性の中に、意図を超えたリアリティが刻まれる可能性を示唆する。にもかかわらず、その写真は完全に中立ではない。そこにはなお、撮影者の癖や選択の痕跡——フレーミングの癖、ピントの迷い、シャッターのタイミング——といった固有の感覚が滲み出ている。写真がどれほど無意識の領域に開かれていたとしても、完全に撮影者の個性を消すことはできない。むしろ、その「意図と無意図のせめぎあい」こそが、井手さんの写真に特有の緊張感を与え、見る者を惹きつける力となっているのだと思う。
(鈴木理策「機械が行う知覚をめぐって」より一部抜粋 )
