Little Ones Author / 石元泰博 Yasuhiro Ishimoto
21cm×15cm 112P
日米を往還しながら独自の造形感覚を磨いた写真家・石元泰博。本作は、1958年発表の幻の1st写真集『ある日ある所』から「こども」の写真だけを選び出し、未発表のままたくさん残されていた写真を加えて再編集した1冊。
シカゴと東京、80年前の路地裏の子どもたち。
東京の路地裏で、日が暮れるまで遊んでいるこどもたちは、ほとんどいなくなりました。石元泰博(1921-2012)は、農業移民の子としてサンフランシスコで生まれ、モホイ=ナジが設立したシカゴの「ニュー・バウハウス」で学び、のちに伊勢神宮や桂離宮など日本の伝統的建築にモダニズムを見出した写真家です。
いまのように海外の写真家やデザイナーが京都の「KATSURA(桂離宮)」を巡礼するようになったのは、ブルーノ・タウトと石元泰博の二人の目があったからです。とりわけ、石元泰博がもたらしたバウハウス仕込みの造形感覚はセンセーショナルでした。
伝説の「桂離宮」が撮影されたのは1953年のこと。前年まで、シカゴの美大生でした。シカゴの学生時代に、ハロウィンのこどもたちを撮影しています。その後、50年代末まで、シカゴと東京の路地裏でこどもたちを撮りつづけました。ふてぶてしくて、たくましくて、うつくしいこどもたちを。
巻末には、桑沢デザイン研究所で石元先生から指導を受けた潮田登久子さんの寄稿文「63年目の授業」を収録しています。ブックデザインは、サイトヲヒデユキさん。上と下で異なる紙を背継ぎした表紙のデザインは、ぜひ実物を触ってみてください。シカゴと日本を股にかけ、白と黒の無数のグラデーションの中で、独自のモノクローム世界を表現した石元泰博に捧げる意匠になっています。継ぎ目に段差が出ないように貼り合わせるのは、なかなかの職人技です。
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石元泰博 / Yasuhiro Ishimoto
1921年6月14日、アメリカ・サンフランシスコに生まれる。3歳のとき両親の郷里である高知県に戻り、1939年高知県立農業高校を卒業。同年、単身渡米するが、間もなく太平洋戦争がはじまり、収容所生活を経験する。終戦後は、シカゴのインスティテュート・オブ・デザイン(通称、ニュー・バウハウス)で、写真技法のみならず、石元作品の基礎を成す造形感覚の訓練を積む。その後、桂離宮のモダニズムを写真により見出した作品で高い評価を受ける。丹下健三、菊竹清訓、磯崎新、内藤廣など日本を代表する建築家の作品を多く撮影してきたことでも知られる。
日米を往還しながら独自の造形感覚を磨いた写真家・石元泰博。本作は、1958年発表の幻の1st写真集『ある日ある所』から「こども」の写真だけを選び出し、未発表のままたくさん残されていた写真を加えて再編集した1冊。
シカゴと東京、80年前の路地裏の子どもたち。
東京の路地裏で、日が暮れるまで遊んでいるこどもたちは、ほとんどいなくなりました。石元泰博(1921-2012)は、農業移民の子としてサンフランシスコで生まれ、モホイ=ナジが設立したシカゴの「ニュー・バウハウス」で学び、のちに伊勢神宮や桂離宮など日本の伝統的建築にモダニズムを見出した写真家です。
いまのように海外の写真家やデザイナーが京都の「KATSURA(桂離宮)」を巡礼するようになったのは、ブルーノ・タウトと石元泰博の二人の目があったからです。とりわけ、石元泰博がもたらしたバウハウス仕込みの造形感覚はセンセーショナルでした。
伝説の「桂離宮」が撮影されたのは1953年のこと。前年まで、シカゴの美大生でした。シカゴの学生時代に、ハロウィンのこどもたちを撮影しています。その後、50年代末まで、シカゴと東京の路地裏でこどもたちを撮りつづけました。ふてぶてしくて、たくましくて、うつくしいこどもたちを。
巻末には、桑沢デザイン研究所で石元先生から指導を受けた潮田登久子さんの寄稿文「63年目の授業」を収録しています。ブックデザインは、サイトヲヒデユキさん。上と下で異なる紙を背継ぎした表紙のデザインは、ぜひ実物を触ってみてください。シカゴと日本を股にかけ、白と黒の無数のグラデーションの中で、独自のモノクローム世界を表現した石元泰博に捧げる意匠になっています。継ぎ目に段差が出ないように貼り合わせるのは、なかなかの職人技です。
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石元泰博 / Yasuhiro Ishimoto
1921年6月14日、アメリカ・サンフランシスコに生まれる。3歳のとき両親の郷里である高知県に戻り、1939年高知県立農業高校を卒業。同年、単身渡米するが、間もなく太平洋戦争がはじまり、収容所生活を経験する。終戦後は、シカゴのインスティテュート・オブ・デザイン(通称、ニュー・バウハウス)で、写真技法のみならず、石元作品の基礎を成す造形感覚の訓練を積む。その後、桂離宮のモダニズムを写真により見出した作品で高い評価を受ける。丹下健三、菊竹清訓、磯崎新、内藤廣など日本を代表する建築家の作品を多く撮影してきたことでも知られる。
