わたしと『花椿』/ 林央子
19cm×13cm 288P
再入荷しました。
ファッションやカルチャー、そして美意識などの価値観が大きく変わった90年代に、カルチャー発信の現場で何が起こったのかを「花椿」の編集を通じて、時代と向き合ってきた著者、林央子が綴った1冊。
1988年資生堂に入社以来、2001年に退社するまで、『花椿』編集室に所属した林央子が、当時の名物編集長・平山景子氏やアートディレクターの仲條正義氏から編集のいろはを学んでいく過程や、国内外のクリエイターと交遊を深めた舞台裏と、そこから現代に通じるアートやファッションの紹介者として世界をリードするまでを綴る。
わかりやすさが要求される世界に対抗し、複雑さをとどめたまま、情報を伝えていくことができるのは「雑誌」だった。世界でも類を見ない企業文化誌に所属した著者が語る、新しい意識を伝えるための「編集」。『花椿』は、いつの時代も女性の声というものを重視していた媒体だった。
林央子は、根っこから育てる庭師であり、世界の作り手たちのアーキビストだ。
――マイク・ミルズ(映画監督)
再入荷しました。
ファッションやカルチャー、そして美意識などの価値観が大きく変わった90年代に、カルチャー発信の現場で何が起こったのかを「花椿」の編集を通じて、時代と向き合ってきた著者、林央子が綴った1冊。
1988年資生堂に入社以来、2001年に退社するまで、『花椿』編集室に所属した林央子が、当時の名物編集長・平山景子氏やアートディレクターの仲條正義氏から編集のいろはを学んでいく過程や、国内外のクリエイターと交遊を深めた舞台裏と、そこから現代に通じるアートやファッションの紹介者として世界をリードするまでを綴る。
わかりやすさが要求される世界に対抗し、複雑さをとどめたまま、情報を伝えていくことができるのは「雑誌」だった。世界でも類を見ない企業文化誌に所属した著者が語る、新しい意識を伝えるための「編集」。『花椿』は、いつの時代も女性の声というものを重視していた媒体だった。
林央子は、根っこから育てる庭師であり、世界の作り手たちのアーキビストだ。
――マイク・ミルズ(映画監督)