ROSELAND / Glen Luchford
32cm×24cm 176P
限定1000部
イギリス人ファッションフォトグラファー、グレン・ルックフォード(Glen Luchford)の作品集。
1994年、最も歴史の古いファッション誌『 ハーパーズ・バザー(Harper's Bazaar)』のためにニューヨークでグレン・ルックフォードが撮影したケイト・モス(Kate Moss)の写真は、ファッション・フォトグラフィーの中でも最も有名な写真の一つとして知られている。本作はその際に撮影された235本ものフィルムの中から厳選した未発表写真を編纂した1冊。
1994年6月23日に撮られた1,000点以上もの未公開写真。アートディレクターのエドワード・クォーンビー(Edward Quarmby)がそれらの写真から最良のショットをセレクト。テキストもなく、本の中を突き進んでいくと次々と見開きが現れ、良い写真の次にさらに素晴らしい写真が、ひとつも外れることなく、かわるがわる登場する。先述の通り、これが本当に極上なのである。ケイト・モスが実に素晴らしい。ニューヨークのマンハッタンの街路がまた良い。街路を行き交い、写真に写る人々も見事である。ニューヨーク、ニューヨーカー、ケイト・モスと、トリプルヒットと言えるだろう。
本書のタイトルは52丁目にある「ローズランド・ボールルーム(Roseland Ballroom)」に由来する。マンハッタンのミッドタウンの多くの撮影場所のうちのひとつである。ファッションをルポルタージュ形式で撮ることは可能である。作者はそのようにしてケイト・モスのいるニューヨークを撮影した。
「1980年代後半にニューヨークに到着した時、街路に心底酔いしれました。特にミッドタウンでは、何ブロックか歩くだけでダイヤモンドのディーラーや婦人服店、押し売りにジャンキーに行き当たります。非現実的な時間でした。42丁目に『ロボコップ』を見に行くと、隣の席ではポン引きがクラックを吸っているし、後ろの列では男が売春婦にフェラチオをしてもらっているんです。『ロボコップ』が誰かを撃つたびに、まるでサーカスみたいに全員が囃し立てました。私が育ったところとはまるで違いました。『バザー』にケイトを撮るよう依頼された時、愚かにも、私は街路に出ていってそのすべてに取り囲まれたケイトを捉えようと考えました。マリオ・ソレンティ(Mario Sorrenti)のタフな学友をボディーガードとして雇いさえしたのです。生々し過ぎたのでしょうか、写真は『バザー』には響かなかったようで、私は『放免』されました。振り返ってみれば、彼らは正しかったんです。私はあの雑誌に敬意を払わず、ただ自分を楽しませていただけでした。でも、あの中から、こうした写真ができたんだ」
(グレン・ルックフォード)
限定1000部
イギリス人ファッションフォトグラファー、グレン・ルックフォード(Glen Luchford)の作品集。
1994年、最も歴史の古いファッション誌『 ハーパーズ・バザー(Harper's Bazaar)』のためにニューヨークでグレン・ルックフォードが撮影したケイト・モス(Kate Moss)の写真は、ファッション・フォトグラフィーの中でも最も有名な写真の一つとして知られている。本作はその際に撮影された235本ものフィルムの中から厳選した未発表写真を編纂した1冊。
1994年6月23日に撮られた1,000点以上もの未公開写真。アートディレクターのエドワード・クォーンビー(Edward Quarmby)がそれらの写真から最良のショットをセレクト。テキストもなく、本の中を突き進んでいくと次々と見開きが現れ、良い写真の次にさらに素晴らしい写真が、ひとつも外れることなく、かわるがわる登場する。先述の通り、これが本当に極上なのである。ケイト・モスが実に素晴らしい。ニューヨークのマンハッタンの街路がまた良い。街路を行き交い、写真に写る人々も見事である。ニューヨーク、ニューヨーカー、ケイト・モスと、トリプルヒットと言えるだろう。
本書のタイトルは52丁目にある「ローズランド・ボールルーム(Roseland Ballroom)」に由来する。マンハッタンのミッドタウンの多くの撮影場所のうちのひとつである。ファッションをルポルタージュ形式で撮ることは可能である。作者はそのようにしてケイト・モスのいるニューヨークを撮影した。
「1980年代後半にニューヨークに到着した時、街路に心底酔いしれました。特にミッドタウンでは、何ブロックか歩くだけでダイヤモンドのディーラーや婦人服店、押し売りにジャンキーに行き当たります。非現実的な時間でした。42丁目に『ロボコップ』を見に行くと、隣の席ではポン引きがクラックを吸っているし、後ろの列では男が売春婦にフェラチオをしてもらっているんです。『ロボコップ』が誰かを撃つたびに、まるでサーカスみたいに全員が囃し立てました。私が育ったところとはまるで違いました。『バザー』にケイトを撮るよう依頼された時、愚かにも、私は街路に出ていってそのすべてに取り囲まれたケイトを捉えようと考えました。マリオ・ソレンティ(Mario Sorrenti)のタフな学友をボディーガードとして雇いさえしたのです。生々し過ぎたのでしょうか、写真は『バザー』には響かなかったようで、私は『放免』されました。振り返ってみれば、彼らは正しかったんです。私はあの雑誌に敬意を払わず、ただ自分を楽しませていただけでした。でも、あの中から、こうした写真ができたんだ」
(グレン・ルックフォード)