残された風景 / 頭山ゆう紀
21cm×15.2cm 176P
生と死、時間や気配など目に見えないものを写真に捉えようとする写真家、頭山ゆう紀による待望の新写真集。
祖母の眼差しに寄り添う薄墨色の庭の景。
静かに息づく風景との出会い。
傍らに在って異なる時間を過ごした
介護の日々を経て
残された写真。続いていく対話。
頭山ゆう紀の「残された風景」は、亡き祖母の在宅介護の時間に撮影されたシリーズである。
コロナ禍での介護の日々、ある閉ざされた状況のなか、近所に買い物に出るわずかな時間に切実な息抜きとして撮られた。瞬間の光と色が射す風景写真が並ぶ。
一方、その合間に現れるモノクロ写真は、家から出られなくなった祖母の視線をイメージして撮影された。幻覚が見えるという祖母の視線に寄り添うように、部屋の窓から庭を撮った写真群。
この二つの視点が混ざり合い、「残された風景」は編まれた。
祖母の姿は一枚も写っていない。介護する側と介護される側との時間の違いが克明に表れる。
残された写真は不在を告げるとともに、残された者にとって、祖母との対話を続けるよすがとなった。
本書の表紙には、境界が揺らぐようにカラーとモノクロの写真が透けて見えている。
頭山ゆう紀の最初の写真集『境界線13』(2008年)には、友人を亡くしたことへの喪失感が流れていた。写真を撮ることで息をし、喪失と向き合い、不在のひとを理解していく過程。
いま『残された風景』も喪失を超え、人が人をケアすること、つづいていく対話へと開かれている。
―――
"私に何ができただろうか。
私に残ったのは、買い物に出る僅かな時間に息抜きに撮っていた近所の写真と、家から一歩も出られず、幻覚で壁に墨絵が見えると いう祖母の視線に少しでも寄り添えないかと撮った部屋からの庭の写真。
家の外は次々に季節を変えた。お互いの過ごしていた時間は確実に違っていた。
時間を埋めるような言葉がもっと必要だったのではないか。残った写真を頼りに祖母との対話を続けようと思う。"
(あとがきより)
生と死、時間や気配など目に見えないものを写真に捉えようとする写真家、頭山ゆう紀による待望の新写真集。
祖母の眼差しに寄り添う薄墨色の庭の景。
静かに息づく風景との出会い。
傍らに在って異なる時間を過ごした
介護の日々を経て
残された写真。続いていく対話。
頭山ゆう紀の「残された風景」は、亡き祖母の在宅介護の時間に撮影されたシリーズである。
コロナ禍での介護の日々、ある閉ざされた状況のなか、近所に買い物に出るわずかな時間に切実な息抜きとして撮られた。瞬間の光と色が射す風景写真が並ぶ。
一方、その合間に現れるモノクロ写真は、家から出られなくなった祖母の視線をイメージして撮影された。幻覚が見えるという祖母の視線に寄り添うように、部屋の窓から庭を撮った写真群。
この二つの視点が混ざり合い、「残された風景」は編まれた。
祖母の姿は一枚も写っていない。介護する側と介護される側との時間の違いが克明に表れる。
残された写真は不在を告げるとともに、残された者にとって、祖母との対話を続けるよすがとなった。
本書の表紙には、境界が揺らぐようにカラーとモノクロの写真が透けて見えている。
頭山ゆう紀の最初の写真集『境界線13』(2008年)には、友人を亡くしたことへの喪失感が流れていた。写真を撮ることで息をし、喪失と向き合い、不在のひとを理解していく過程。
いま『残された風景』も喪失を超え、人が人をケアすること、つづいていく対話へと開かれている。
―――
"私に何ができただろうか。
私に残ったのは、買い物に出る僅かな時間に息抜きに撮っていた近所の写真と、家から一歩も出られず、幻覚で壁に墨絵が見えると いう祖母の視線に少しでも寄り添えないかと撮った部屋からの庭の写真。
家の外は次々に季節を変えた。お互いの過ごしていた時間は確実に違っていた。
時間を埋めるような言葉がもっと必要だったのではないか。残った写真を頼りに祖母との対話を続けようと思う。"
(あとがきより)