空蓮房 ー仏教と写真ー / 谷口昌良、畠山直哉
19cm×13cm 176P
再入荷しました。
瞑想のための空間「空蓮房」を敷地内に構える蔵前・長應院の住職、谷口昌良と、写真家の畠山直哉が仏教と写真術について思考し語った対話論考集。
2006年に、谷口昌良が寺院の一角に瞑想のための空間として構えた「空蓮房」。そこで開かれた写真展示を振り返り、その活動と書かれた言葉に思いを巡らす。谷口が仏教と写真術を同時に考えて語る理由や意義を、畠山直哉によって 「翻訳」し「解釈」したものでもある本文は、いま写真芸術に最も必要とされることは何なのか、その深化した議論を喚起するための問いかけであり、「祈り」である。
―――
「世の中には数多の言葉や表現がある。だがその中でも、たとえ表面上は『簡単な』ものに見えたとしても、結局はこのような『簡単ではない思考』の真実に触れようとしている言葉や表現だけが、主義主張や立場の違いを超えて、また時代を越えて、語り継がれるものになっているとは思わないだろうか。
その真実はまた、僕たち全員を深いところで動かしている『生の動機』あるいは『リアリティ』と呼ぶべきものに繋がっているとは、思わないだろうか。その真実を求める心の動きを、たとえば『祈り』や『たましい』と表現して、どこが間違いだろうか。」
畠山直哉 序文より
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瞑想のための空間「空蓮房」を敷地内に構える蔵前・長應院の住職、谷口昌良と、写真家の畠山直哉が仏教と写真術について思考し語った対話論考集。
2006年に、谷口昌良が寺院の一角に瞑想のための空間として構えた「空蓮房」。そこで開かれた写真展示を振り返り、その活動と書かれた言葉に思いを巡らす。谷口が仏教と写真術を同時に考えて語る理由や意義を、畠山直哉によって 「翻訳」し「解釈」したものでもある本文は、いま写真芸術に最も必要とされることは何なのか、その深化した議論を喚起するための問いかけであり、「祈り」である。
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「世の中には数多の言葉や表現がある。だがその中でも、たとえ表面上は『簡単な』ものに見えたとしても、結局はこのような『簡単ではない思考』の真実に触れようとしている言葉や表現だけが、主義主張や立場の違いを超えて、また時代を越えて、語り継がれるものになっているとは思わないだろうか。
その真実はまた、僕たち全員を深いところで動かしている『生の動機』あるいは『リアリティ』と呼ぶべきものに繋がっているとは、思わないだろうか。その真実を求める心の動きを、たとえば『祈り』や『たましい』と表現して、どこが間違いだろうか。」
畠山直哉 序文より