広告 Vol.417 特集:文化
15cm×10cm 1100P
再入荷しました。
博報堂が出版する雑誌『広告』。
全体テーマである「いいものをつくる、とは何か?」を思索する、今号の特集は「文化」。
ものをつくることと文化は密接に結びついている── 。
「文化」とは、学問や芸術、宗教など、人間の精神的活動によって生み出される有形無形の“産物"を指します。哲学や文学、建築や音楽などもその例です。一方で、それらが生まれ、育まれる“土壌”でもある、特定の地域や時代、分野における固有の慣習や様式も「文化」と呼びます。ものをつくることは、様々な文化(土壌)の影響下で、新たな文化(産物)を生み出すことです。また、その文化(産物)は、関連する文化(土壌)に還元されるという循環構造があります──。
文化人類学で定義される、人間の営みの総体としての文化。技術や制度、社会基盤といった文明的なものによってもたらされる文化。そして、文明が孕む過度な合理主義や進歩主義への対抗概念としての文化──。
今号では、「文化」にまつわる様々な観念や事象に向き合い、雑誌『広告』の全体テーマである「いいものをつくる、とは何か?」を思索するための視点を集めていきます。
また、表紙はシルクスクリーンで刷られ、1冊ずつ全て異なる色合いの赤となっています。
<ピックアップ記事>
文化とculture――社会学者 吉見俊哉 × 『広告』編集長 小野直紀
「文化」や「culture」という言葉の複雑性や多義性はなぜ生まれたのか。そして近代から現代における「culture」や「文化」にまつわる議論はどのような広がりと変遷をたどってきたのか。社会学者・吉見俊哉氏に、本誌編集長・小野直紀が「文化とculture」をテーマに疑問をぶつける。
まじめな遊び、ふざけた遊び
文化は遊びから生まれるとする『ホモ・ルーデンス』のホイジンガの理論と、遊びは秩序を撹乱・転覆させる力をもつとする『プレイ・マタ―ズ』のシカールの遊び論を対比させながら、遊びと文化の関係を考察する。(寄稿:美学者 松永伸司)
現代における「教養」の危機と行方――哲学者 千葉雅也 × 『ファスト教養』著者 レジー
ビジネスに役立つとして時短的に教養を身につけようとする風潮や態度を批判的に考察した『ファスト教養』の著者・レジー氏と、『勉強の哲学』、『現代思想入門』などの著書を通じて学びや生き方のあるべき姿を説く哲学者・千葉雅也氏が、現代における教養のあり方について語り合う。
カルチャー誌の過去と現在
2000年代前半まで盛り上がりを見せていたカルチャー誌は社会にどんな影響を与えていたのか。雑誌メディアの低迷とともに廃刊・縮小していったカルチャー誌は、いったい何に置き換わったのかを考察する。(寄稿:古雑誌収集家 ばるぼら)
「文化のインフラ」ミニシアターが向かう先
コロナ禍の影響もあり様々なミニシアターが窮地に立たされている。シネコンや映像配信サービスが一般的となった現代において、あらためてミニシアターの果たす役割と向かう先について、ふたりのミニシアターの運営者への取材をとおして考察する。
激動する社会とマンガ表現
ポリティカルコレクトネス時代のマンガ表現のあり方とは? 社会と密接に繋がりながら、規制され、ときに炎上しながら、発展を遂げてきたマンガ表現について、その歴史を振り返りながら考察する。(寄稿:ライター 嘉島唯)
SNS以降のサブカルチャーと政治
サブカルチャーの変遷のなかで、政治性や反骨精神から切り離された冷笑系の時代を経て、現代、とくにSNS以降のサブカルカルチャーと政治のかかわりについて『ポスト・サブカル焼け跡派』の著者であるテキストユニットTVODのコメカ氏とパンス氏が語り合う。
開かれた時代の「閉じた文化の意義」――哲学者 東浩紀 インタビュー
インターネットやSNSによって、あらゆる文化が公共の場に晒されている現代における「閉じた文化の意義」とは何なのか? 領域横断的な「知のプラットフォーム」の構築を志すゲンロン創業者で哲学者の東浩紀氏が解題する。
「ことば」が「文化」になるとき――言語学者 金田一秀穂 × 『広辞苑』編集者 平木靖成
ある習慣が起こり文化となり、それが広まる過程でそれを意味することばが生まれるのか、あるいはその習慣をさすことばが先に生まれることでさらに広がり文化となるのか。言語学者の金田一秀穂氏と『広辞苑』編集者の平木靖成氏が、ことばと文化、そして時代との関係性を語り合う。
京都の文化的権威は、いかに創られたか
日本文化の代表として国内外で認知されることの多い京都。その「京都の文化的権威性」は、どのように創られ、利用されてきたのか。歴史学者の高木博志氏への取材をとおしてひも解く。
ふつうの暮らしと、確かにそこにある私の違和感
「文化的な生活」とは、何か。芸術に触れたり、文学を嗜んだり、祭りや伝統芸能にかかわったり。そうした“高尚”なものばかりが文化なのではない。「ふつうの暮らし」のなかにある「文化的な生活」について、文筆家の塩谷舞氏がごく個人的な視点で書く。
イメージは考える――文化の自己目的性について
芸術作品、文化財、コンテンツなど「文化」を対象化したとき、それはいとも簡単に手段化する。文化を手段的に捉える風潮に対して、自己目的的に存在する「文化」のあり方や意義について、『文化のなかの野生』の著者・中島智氏が芸術人類学の観点から考察する。
ほか全35記事
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博報堂が出版する雑誌『広告』。
全体テーマである「いいものをつくる、とは何か?」を思索する、今号の特集は「文化」。
ものをつくることと文化は密接に結びついている── 。
「文化」とは、学問や芸術、宗教など、人間の精神的活動によって生み出される有形無形の“産物"を指します。哲学や文学、建築や音楽などもその例です。一方で、それらが生まれ、育まれる“土壌”でもある、特定の地域や時代、分野における固有の慣習や様式も「文化」と呼びます。ものをつくることは、様々な文化(土壌)の影響下で、新たな文化(産物)を生み出すことです。また、その文化(産物)は、関連する文化(土壌)に還元されるという循環構造があります──。
文化人類学で定義される、人間の営みの総体としての文化。技術や制度、社会基盤といった文明的なものによってもたらされる文化。そして、文明が孕む過度な合理主義や進歩主義への対抗概念としての文化──。
今号では、「文化」にまつわる様々な観念や事象に向き合い、雑誌『広告』の全体テーマである「いいものをつくる、とは何か?」を思索するための視点を集めていきます。
また、表紙はシルクスクリーンで刷られ、1冊ずつ全て異なる色合いの赤となっています。
<ピックアップ記事>
文化とculture――社会学者 吉見俊哉 × 『広告』編集長 小野直紀
「文化」や「culture」という言葉の複雑性や多義性はなぜ生まれたのか。そして近代から現代における「culture」や「文化」にまつわる議論はどのような広がりと変遷をたどってきたのか。社会学者・吉見俊哉氏に、本誌編集長・小野直紀が「文化とculture」をテーマに疑問をぶつける。
まじめな遊び、ふざけた遊び
文化は遊びから生まれるとする『ホモ・ルーデンス』のホイジンガの理論と、遊びは秩序を撹乱・転覆させる力をもつとする『プレイ・マタ―ズ』のシカールの遊び論を対比させながら、遊びと文化の関係を考察する。(寄稿:美学者 松永伸司)
現代における「教養」の危機と行方――哲学者 千葉雅也 × 『ファスト教養』著者 レジー
ビジネスに役立つとして時短的に教養を身につけようとする風潮や態度を批判的に考察した『ファスト教養』の著者・レジー氏と、『勉強の哲学』、『現代思想入門』などの著書を通じて学びや生き方のあるべき姿を説く哲学者・千葉雅也氏が、現代における教養のあり方について語り合う。
カルチャー誌の過去と現在
2000年代前半まで盛り上がりを見せていたカルチャー誌は社会にどんな影響を与えていたのか。雑誌メディアの低迷とともに廃刊・縮小していったカルチャー誌は、いったい何に置き換わったのかを考察する。(寄稿:古雑誌収集家 ばるぼら)
「文化のインフラ」ミニシアターが向かう先
コロナ禍の影響もあり様々なミニシアターが窮地に立たされている。シネコンや映像配信サービスが一般的となった現代において、あらためてミニシアターの果たす役割と向かう先について、ふたりのミニシアターの運営者への取材をとおして考察する。
激動する社会とマンガ表現
ポリティカルコレクトネス時代のマンガ表現のあり方とは? 社会と密接に繋がりながら、規制され、ときに炎上しながら、発展を遂げてきたマンガ表現について、その歴史を振り返りながら考察する。(寄稿:ライター 嘉島唯)
SNS以降のサブカルチャーと政治
サブカルチャーの変遷のなかで、政治性や反骨精神から切り離された冷笑系の時代を経て、現代、とくにSNS以降のサブカルカルチャーと政治のかかわりについて『ポスト・サブカル焼け跡派』の著者であるテキストユニットTVODのコメカ氏とパンス氏が語り合う。
開かれた時代の「閉じた文化の意義」――哲学者 東浩紀 インタビュー
インターネットやSNSによって、あらゆる文化が公共の場に晒されている現代における「閉じた文化の意義」とは何なのか? 領域横断的な「知のプラットフォーム」の構築を志すゲンロン創業者で哲学者の東浩紀氏が解題する。
「ことば」が「文化」になるとき――言語学者 金田一秀穂 × 『広辞苑』編集者 平木靖成
ある習慣が起こり文化となり、それが広まる過程でそれを意味することばが生まれるのか、あるいはその習慣をさすことばが先に生まれることでさらに広がり文化となるのか。言語学者の金田一秀穂氏と『広辞苑』編集者の平木靖成氏が、ことばと文化、そして時代との関係性を語り合う。
京都の文化的権威は、いかに創られたか
日本文化の代表として国内外で認知されることの多い京都。その「京都の文化的権威性」は、どのように創られ、利用されてきたのか。歴史学者の高木博志氏への取材をとおしてひも解く。
ふつうの暮らしと、確かにそこにある私の違和感
「文化的な生活」とは、何か。芸術に触れたり、文学を嗜んだり、祭りや伝統芸能にかかわったり。そうした“高尚”なものばかりが文化なのではない。「ふつうの暮らし」のなかにある「文化的な生活」について、文筆家の塩谷舞氏がごく個人的な視点で書く。
イメージは考える――文化の自己目的性について
芸術作品、文化財、コンテンツなど「文化」を対象化したとき、それはいとも簡単に手段化する。文化を手段的に捉える風潮に対して、自己目的的に存在する「文化」のあり方や意義について、『文化のなかの野生』の著者・中島智氏が芸術人類学の観点から考察する。
ほか全35記事